那須野が原公園の湿生広場では、三年前から那須野が原地域に住んでいる生きものを呼び込めるようなビオトープをつくろうと活動しています。
その活動のひとつに水辺の植生を作ろうということで、広場の一部に柵を設け植生を保護しようという試みをしております。
「立ち入り禁止」にし、その理由や活動を掲示しているのですが、やはり暖かくなると立ち入って来てしまいます。
それも大人がです…(; ̄O ̄)
ザリガニを獲ろうとするのは、まぁ〜百歩譲って仕方がないと思いますが、こちらも無意味に柵をみんなで作っているわけではありません。
そうした思いがあるにも関わらず、それに対して敬意をもって頂けないものか?と思ってしまいます。
一時期、ルールや規則は破ってイイもの!それをしないと勝てないし、新しいものも作り出せない…と言われました。
確かにそうかもしれない…しかし、それは既存のルールや規則をまず認め、敬意を払い、そこからその意図や背景を考え、そこから自分の意見を提案したり、実行し、破るのであれば建設的なルールや規則の修正ができるが、ただ単に一時の利己的な欲求のために、私たちのやっている事を破る権利はないはずだッ!
こうした自分さえよければ、他はどうでもイイという考え、入っちゃダメって言っても、そんなもん関係ない!というマインドが、私たちの生活しにくくさせていっている気がするのです。
欲望は尽きない…今回、石油は二酸化炭素を出すから「温暖化」でダメし、いずれ底をつくから、今までよりももっと経済成長するためには「クリーン」な(笑)原子力発電を推進しよう!ということで、現在のとんでもない、取り返しのつかない状況になってしまいました。人間だけが、自分だけが良い思いをすれば他がどうなってもイイッ!(極端なことを言えば)という考えでは、いずれ人間自体が破綻します。何故なら、我々は他とつながり合って生きているからです。
唯一、絶対的な規則があるとしたら、それは「自然」のあり方です。
今までのそうしたマインドは、人間だったらコントロールできるという奢りが前提で破られ行われて来ました。
しかし、もう、それを変えるベキなんです!
子供は、しっかり大人の行動を見ています。
どんなに素晴らしい習い事や塾に通わせていても、一番身近な親の存在が一番の見本になってしまうのです。
自分だけ良ければ、相手を傷つけても構わない…勝てば何をやってもイイ…
それらは全て鏡のように投影されてしまいます。
もう一度、そんなことから考え直す機会を我々大人は与えられたのではないでしょうか?
ていうよりも最後のチャンスなのではないでしょうか?

柵の中の水際の麻袋が、何者かによってめくりあげられていた。

めくられていた場所を近くから見ると、足跡が…(; ̄O ̄)
明らかに大人のように大きいもの(゚o゚;;
この間植栽したものが上手く定着しているのに、このようにされると影響は周りに対して大きいです。
ひとりが入っていれば、注意するのではなく、入っていいものなんだと思うのが、今の
大人なんです。そこに美意識とか自分なりの価値基準、行動規範なんて極端な言い方をすればないんじゃないでしょうか?
だって楽しけりゃいいんですもん。