
今回も昨年の12月に出展させて頂いた時と同様、ペレットストーブ(アウトドア用クッカー)を使用し、身近な森の手入し地域の環境に目を向けるてもらうために…それは地域の身近な森を資源として使う事によって、荒廃してしまった森をかつての里山のように利用する。そうすることによって、石油を買って外国にお金を払うのではなく、地域に投資することが出来ます。また自ら手入れをして自然と関わる事によって、生きものとしての人間性を取り戻し、消費にまみれ、操作され搾取される状態に気がつき、自分と生活に必要な「量」を認識した時に、地域の自然とのつながりを再認識、再発見する事になるのではないか?と思ってるんです。そこで、初めて「生きる」ってことを感じられるのではないだろうか?と…
必要な量を把握し、地域の資源を持続可能性を守りながら手入れし活用させて頂きながら、周りの人と支え合う仕組みが出来れば、借金なんてしなくても、地方は地方で独立して賄っていけるのではないだろうか?そう勝手に妄想しています。
かなり脱線してしまいましたが、そんな話をこうした場所で皆さんと楽しく意見交換できたらいいですよね♪

上の写真は、子供たちにもペレットストーブきりんくんの燃料補充を手伝ってもらいました。こうしたことでも喜んでやってくれる!こうした触れるって体験がこの子たちに何か影響を与えることは間違いないと僕は思ってます。
小さい時に嗅いだ木の匂いや、触った感触、火の暖かさ…
そして僕を含めて大人は、感じる事に鈍感になってしまった気がします。
感じる事はあるかもしれませんが、それは本当に自分自身が獲得した感動なのか?
全て与えられたもの、相手の意図したところでの感動なのではないか?
そうではなくもっと無目的なものに、自然な営みの中で、自分で気づき発見したことに
感動できないか?忘れてしまったのか?
例えば朝日や夕焼けの美しさに感動するように…
赤ん坊の微笑みをみて思わずニヤケてしまうように…
人間の強い意志によって作られたものの凄さに感動することもあります。
しかし、それはその事自体が目的になっているかどうかは別の次元にある意志なんだと思います。ある意味動物的な意志のような、つまり野生、自然に感動していることと一緒なのだと…商業のイメージ戦略、コマーシャル 、ブランド…どれも人の気持ちを操作しようという意図で作られている…それから脱しませんか?
と…最近、そうしたことの重要性を感じています。
また話がズレてしまいました(笑)
色々な方とお話させて頂きました。
色々な企画の話もちょっとだけ進みました。
どうなるか分かりませんが、一つの大きな軸をもとにできることからやって行きたいと思います。