昔から世界各地、そして日本でも、地域によってそれぞれ「祭り」があり、
それぞれの「神」に対して祈りを捧げている。
個人的な感覚では、祭りとは、神、何か得体の知れない大きな力に対して、
人間ではどうにもならない事に対して、どうにか納めて欲しかったり、
無事に生き延びられるようにするために、「神」をつくり祈っていると…
なんだ…自然とつながっている。生活とつながっている。と気がつく。
現在、南方熊楠という人の思想を中沢新一さんが分析した「森のバロック」という本を読んでいて、パラパラめくっていると「人柱の話」の項にあたる。
「人柱」なんて、何かの物語で出てくる話だと思っていたけど、
熊楠は、そんなものはあって当たり前だという前提にたって話を展開したという。
実際に事例を持ち出し、その残酷さが伝わる。
文字通り「人柱」として生け贄として捧げ、祭りを行う。
城や砦、橋や町など、人が重要だと思うものを作る時に…
人工物を自然に対して作るということの意味を十分知っていたのだ。
そこで妙に腑に落ちた。
つまり、つながりの中で生きていたからこそ、魔術的で野蛮で残酷なこの儀式を行い、
自然という神に敬意を表し、許しを乞うていた。
現在はどうだろうか?
どれほど、身近な森や川、原っぱ、そこでくらす生きものと、つながりを感じて生きている人がいるだろうか?
そういう人達が行う祭りとは?
一体、何の祭りなのだろうか?何に対して祈り、どのような生け贄を捧げてたのだろうか?